戦後のFX市場の円高要因

日本が戦後の復興に続く高度成長に伴い,米国への工業製品の輸出を伸ばしてきた。

日本の輸出企業からの米ドル売り需要の急増に加え,米国が“ベトナム戦争”(1959 - 1975年)での多額の財政支出を余儀なくされたため,円相場・金共に固定相場制が維持できなくなってきた。

1971年,米国が米ドルの金との兌換を停止するとともに同国ワシントンのスミソニアン博物館で開催された10カ国蔵相会議において,米ドルの切り下げを決定した。

いわゆる“スミソニアン合意”である。

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「1米ドル=308円」と,従来よりも一気に14%の円高水準と化した。

スミソニアン合意から間もなく,「1米ドル=308円」の固定相場制でさえも維持できなくなってきた。 1973年,他の主要国通貨とともに,円相場は”変動相場制”に移行する。

FX市場の市場参加者の需給により,相場水準が刻一刻と変動するようになった。以降も,FX市場では基本的に円高への歴史が続いた。

FXでの円高進行が特に顕著なのは、1985年の“プラザ合意”の直後である。当時,米国の貿易赤字の深刻化を打開すべく,NYのプラザホテルで5カ国蔵相・中銀総裁会議が開催された。

この会議において,著しい貿易不均衡を是正しようと,FX相場のドル安への誘導で合意がなされる。各国が米ドル売りの協調介入を実施したため,円相場は230円台から翌年には150円台まで,大きく円が切り上がった。

輸出企業が打撃を受けて,日本は一時“円高不況”に陥る。

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“円高不況”を機に日本企業は海外生産ヘシフトを進めてきたが,それでも貿易不均衡はその後も続いた。 1995年4月には,FX市場における円の史上最高値79.75円を付けている。

その後も,基本的には米ドルの上値の重い状況である。